森 晃爾氏 産業医科大学 教授
<略歴>1986年産業医科大学医学部卒業、90年同大学院博士課程修了。13年間労働衛生機関医や外資系石油会社で産業医として実践後、03年産業医科大学産業医実務研修センター所長、12年同産業衛生生態科学研究所教授。日本産業衛生学会理事長、著書多数。
健康経営に取り組む企業は増えているが、施策の内容や質には濃淡が見られる。
健康経営を企業と従業員の双方にとって価値あるものとするにはどうすればよいか。
産業保健経営学が専門の産業医科大学・森晃爾教授に聞いた。
健康は「根幹資源」 積極投資で業績向上
健康経営は企業が従業員の健康を経営的視点から考え、その増進に戦略的に取り組むことです。当初は中高年がターゲットでしたが、現在は若い世代が早くから自身の健康を考え、生き生きと長く働けるようにするために健康経営を活用するようになってきました。
企業は人、物、金、情報という経営資源を配分し、付加価値を生みだします。しかし、人が健康を損なえば成果は上げられません。従業員の健康こそ「根幹資源」であり、そこへの投資が不可欠です。
健康経営と株価の関係を見ると、健康経営銘柄の株価指数は東証株価指数(TOPIX)を上回っているとの報告があります。健康経営を開始した年を「0」として、その5年前〜5年後の売上高営業利益率の業種相対スコアの平均値を見ると、健康経営開始2年後から利益率が高まる傾向が見られるとの調査結果もあります。
これほど短期間で業績が向上する要因を考える際に有効なのが、心理学者ロバート・アイゼンベルガーが提唱した従業員に知覚された組織的支援(POS)指標です。
POSは、組織が自分たちのウェルビーイング(仕事を通じて快適、健康、幸せであると感じる状態)を大切にしてくれていると従業員が感じている状態を表すものです。「能力を最大限に発揮して仕事ができるように支援してくれている」「私が仕事に満足しているか気にかけてくれる」などと感じているPOSの高い従業員は、仕事への参画意識や組織への貢献意欲が高い傾向が見られます。仕事に対する感情もポジティブで、離職意識が低いことも分かっています。大事にされているという感覚がワーク・エンゲイジメントを高め、短期間での成果につながっていると考えられます。
規模が小さい企業で働く人の方が、POSが高い傾向にあります。これはそのような企業の方が経営者の思いを直接従業員に伝えやすい傾向になるからだと思います。
一方、特に大企業の場合には、POSを高める上で上司のサポートが大きな役割を果たします。上級管理職が中間管理職を支援し、中間管理職が従業員を支援することでPOSが高まっていきます。POSは多くの健康増進プログラムを提供したり、インセンティブを設けたりするだけでは上がりません。従業員が大切にされていると感じる組織文化の醸成が鍵です。企業と従業員の信頼関係こそ健康経営の本質と言えるでしょう。
管理職の意識と 戦略マップづくりを
健康経営推進のためには、まず安全・配慮義務を果たすことが土台になります。その上で健康宣言をし、経営者自身が健康管理の模範を示します。トップがリーダーシップを発揮して従業員の健康にコミットし、折に触れて健康の重要性を伝えることが大切です。
管理職はトップの方針の代弁者となり、従業員のウェルビーイング向上を支援します。各部署では自発的に健康増進をリードする従業員を育成し、産業医や保健師などの産業保健専門職が管理職の取り組みを支援します。産業保健専門職が社内にいると健康リスクの高い従業員の受診率が向上し、管理状況も改善される傾向が見られます。
具体的な施策では、健康に関連する独自性の高い取り組みを真剣に、徹底的に実施します。経営者の思いを感じられる全員参加型のプログラムとして、海外も含む多くの拠点での実施風景をつないだビデオを作成して、それを見ながら各職場で体操をしている例もあります。どんな取り組みでも、組織としての一体感や健康的な組織文化をつくることがポイントです。
同じプログラムでも、会社の健康づくりの取り組みを仕事の成果を上げる上でポジティブに捉える管理職がいる職場と、「この忙しいときに」などとネガティブに捉える管理職がいる職場では、従業員の参加率が大きく変わります。管理職の意識を合わせることも重要です。
出社はしているが体調不良で効率が上がらない状態であるプレゼンティーイズムの存在は、組織に大きな損失をもたらしていることが分かっています。その主な要因は精神的健康であり、メンタルヘルス対策が大切です。運動習慣がある、食事に気を使っているなど、健康意識の高い従業員が多い職場では、一人ひとりに合わせたプログラムを用意すると自発的な健康づくりが進みます。
健康経営を続けることで、リクルート市場で優良企業として評価されたり、顧客や取引先からの信頼獲得につながったりします。そこまでの道筋をどう設計・評価し、開示していくか。その一助となるのが「戦略マップ」です。
最終的な目標を設定し、どのようなプログラムを提供すると、どのような変化があり、どんな成果が上がるのか、プログラムと効果を結び付ける過程を可視化していきます。そして、組織として成果を上げる上で重要な指標を定義して、モニタリングします。POSのような無形資源も定義することが重要です。
個々の施策について取り組み状況を検証し、一定期間における成果や課題などを把握して改善に向けたレビューを実施。その結果を経営層と共有して今後の方針を確認することが大切です。人的資本の情報開示の一部として、どんな理念・方針で体制を整備し、どんな計画でプログラムを実施して評価・改善を図っているのか、ストーリーで示すことが求められます。
健康経営優良法人の認定を受けても、実際の取り組みがついてこなければ従業員は失望し、不信感を抱くことでしょう。認定を得ることが目的ではありません。外部の支援サービスを利用する場合も丸投げにせず、本質を見失わないようにしてほしいと思います。
ある企業が世界に健康経営方針を発信したところ、海外の従業員から多くの反響があったといいます。日本の健康経営は多くの可能性を秘めた取り組みです。健康経営で従業員の職業人生が充実し、生き生きと働ける企業が増えてくれば、社会の安定的な発展や国民の活力向上にもつながっていくでしょう。
2024年2月26日付 日本経済新聞朝刊 健康経営広告特集より転載。記事・写真・イラスト等すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます。
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