投資家に刺さる情報開示を考える
長期的な企業価値向上に資する取り組みとして、経済産業省が主導する健康経営に注目が集まっている。非財務情報の開示が世界的なスタンダートとなるなか、日本企業は健康経営への取り組みをどのように発信するのが効果的か。外資系金融機関で豊富な投資家経験を持ち、現在はサステナブルファイナンスの専門家として、機関投資家・企業の双方を支援する小野塚惠美氏に効果的な開示方法について聞いた。
小野塚惠美氏 エミネントグループ 代表取締役社長CEO
(プロフィール)JPモルガン、ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント、マネックスグループの投資顧問会社を経て、2022年5月から現職。金融庁サステナブル ファイナンス有識者会議委員や一般社団法人 科学と金融による未来創造イニシアティブ代表理事を務める。
攻めの開示として 投資家に届ける
企業価値を評価する基準としてESG(環境・社会・企業統治)や人的資本などの非財務情報を重視する投資家が世界的に増えています。特に日本では、2023年3月期から有価証券報告書で女性管理職比率と男性の育児休業取得率、さらに男女間賃金格差の開示が義務付けられたこともあって人的資本への関心が高まっています。
日本企業にとって、人材を「資本」と捉えて投資を行い、中長期的な企業価値の向上につなげるという考え方は、決して新しい概念ではありません。例えば、日本企業の多くは、従業員の健康を管理し、個人の活力を企業や組織の成長に変えてきました。この健康経営こそ、人的資本を高める重要な施策の一つです。
世界的に人的資本の開示要求が高まるいま、日本が先駆的に行ってきた健康経営への取り組みをグローバルの文脈で再定義し、それを企業価値として投資家に発信することは、極めて重要な取り組みといえるでしょう。
人的資本の開示項目や方法については、世界経済フォーラム(WEF)などさまざまな団体が提示し、基準や指針が乱立しています。とはいえ、開示の狙いは大きく「攻め(=価値向上)」と「守り(=リスクマネジメント)」の2つの視点があると考えられます。
日本企業はコンプライアンスや労働慣行といったリスクマネジメントでは開示が進んでいる一方、ダイバーシティや流動性、育成、エンゲージメントといった価値向上の視点での開示においては課題がある印象です。それを克服する手段の一つとしても健康経営の情報開示は有効だと思います。
社会的背景など 欧米との差も意識して
図表①は、企業価値の創造とサステナビリティーとの関係性を示したものです。この通り、企業活動には、地球や社会、人々のサステナビリティーに対しての責任があります。ステークホルダーからの期待や地球環境に与える影響に配慮しながら事業を行うとともに、説明責任を果たすことが求められます。
ここでも健康経営は重要なツールになるでしょう。企業が従業員の健康に対してどのように向き合っているかをきちんと語るわけです。その際、単に取り組みの事例を挙げるのではく、意図を明確にすることが肝心です。さらに結果や明らかになった課題なども含めて開示することが説明責任を果たすことにつながります。
ただし、海外投資家とコミュニケーションを図る際には注意が必要かもしれません。家族的な経営で終身雇用を維持してきた日本と、個人主義のもとでジョブ型雇用を主流としてきた欧米では、健康経営を語るうえで前提となる社会的背景が大きく異なるからです(図表②)。
欧米の社会では貧富の差や差別、労働市場の過剰な流動性などがあり、それらが社会不安のファクターとなって、治安の悪化などにつながっています。こうした課題に対しての社会的責任が企業には求められており、人的資本を高める場合であれば、人権や多様性、安全の確保などが重視されます。
一方、日本の社会には、労働人口の減少や生産性の低さといった課題があります。企業に期待されるのは、生産性の向上やイノベーションの創出です。
そのために従業員にリスキリングの機会を提供したり、多様な働き方を推進したりするなど、人的資本に関しては、より経済的な価値を向上させることが求められます。健康経営の開示をグローバルスタンダードで行う場合についても、「従業員の経済的価値の向上」という文脈で行うことが肝心です。
非財務情報の評価に 「トレンド」「変化率」が効果
ここで一つの例え話として、日米の洗濯機の違いを挙げてみましょう。必要最低限の機能しか付加されてないことが多い米国と異なり、日本の洗濯機には大抵、たくさんの機能とボタンがあります。中には一度も使わない機能もあるでしょう。
これと同じように、総じて日本企業は実施した施策の多さを強調しがちで、開示情報に経営者のコミットメントが抜け落ちている場合が少なくありません。
一般的に海外の投資家は「株主が出資した資本を使って、どれだけ効率よく利益を上げているか」に重きを置く傾向にあります。だからこそ、特に海外投資家に向けて情報発信する場合には「何のために健康経営を実践し、どんな施策を打ったのか」「実際に取り組んでみて、どのような効果が得られたのか」を伝え、課題が残った場合は次年度に向けて改善案を公言することが大切です。
各指標の数値を時系列で示し、「その数値をどう受け止めているのか」という経営層のコメントを添えることも欠かせません。例えば、何らかの数値が0から1に進歩した場合と、2から1に後退した場合とでは、結果は同じ1でも投資家に与える印象は大きく異なります。
仮にその数値が業界平均と比べて低水準であっても、自社にとっては着実に成長している証だと説明できれば、そのデータに意味が見出せます。
非財務情報開示のグローバル基準に照らすと他社と横並びで比較されるため、どうしても見劣りする企業が出てきます。しかし、海外投資家が最も注目するのはトレンドと変化率です。たとえデータが他の企業より見劣りしていたとしても、その2つがポジティブであれば、一定程度の評価は期待できます。
戦略マップを作り 課題解決の時間軸示す
日本企業の統合報告書にはタイムライン(時間軸)という概念が見られない場合が多いため、戦略を策定する際はバックキャスティング的なアプローチも有効でしょう。理想とする自社の姿を設定し、現状とのギャップから進むべき道を逆算して描くことで、より戦略的で一貫性のある情報開示につながるはずです。
これには経済産業省が主導する「健康経営戦略マップ(戦略マップ)」を活用するのも一案でしょう。戦略マップとは、自社の健康経営戦略を作成し、可視化を助けるためのフレームワークツールです。
これに沿って健康施策とその効果をどう位置づけているかをストーリー化することで、より効果的な健康経営が実施できるだけでなく、取り組み状況を投資家に開示・説明する際にも役立つのです。
個人的には、健康経営への取り組みやその開示の方法について洗練されている日本企業は、増えつつある印象を持ちます。ただし、そうした企業のやり方をまねても意味はありません。なぜなら健康経営で解決したい経営課題や具体的な施策は各社によって異なるからです(図表③参照)。
まずは健康経営で解決したい経営課題を経営トップが理解し、自社なりの戦略マップを作成することが第一歩といえるでしょう。
※「健康経営®」は特定非営利活動法人 健康経営研究会の登録商標です。
2024年3月7日付 日本経済新聞朝刊 健康経営広告特集より転載。記事・写真・イラスト等すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます。
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